2005年12月15日

読書Bar紅茸天狗

読書Bar紅茸天狗を見つけたのは一週間ほど前。
夕飯を食べそびれお腹が空いてる会社帰りに路地裏で見つけた。
本をかたどったレトロな看板に書かれた店名の下に『本 食事 飲み物』とあった。
本はどうでもよかったのだが、バーの割に食事に重きをおいていそうなので引き寄せられてしまった。

8帖くらいの広さでカウンターだけのこぢんまりした店には男女の店員が1名ずついた。
男性はバーテンだが、女性は何をしているのかよくわからない。
料理担当なのだろうが料理をしてるようにもみえない。
時たま皿洗いをしていた。
8脚並んだスツールの1mくらい後ろに壁と壁にぴったり収まったこげ茶色の木製本棚が置かれていた。
そこには本がびっしり納まっている。

紅茸天狗はとても変わったバーだった。
お品書きには著者順に本の題名がずらりと並び、食事と飲み物は全てお任せなのだ。
優柔不断な私にとっては実にありがたいシステムだ。

また、この店は様々な料理屋と提携しており、出されるものは全てそれらの店料理で、紅茸天狗のオリジナルは一切ないらしい。
一つの店で日ごとに違う店の料理を味わえるのは嬉しいのだが、あれらの料理をあの女性が作ってるのか、はたまた各店から輸送してるのか疑問である。
まるでおつまみのセレクトバーのようだ。

ここのもう一つの特色は看板にも書かれているように本だ。
そもそもこの店のコンセプトは、読書好きが本を読みながらゆっくり酒を飲めるといものだ。
照明や椅子の配置、すわり心地も読書をする人のために気を配られている。
実を言うと私は読書にあまり興味がなかった。
だから初めて紅茸天狗を訪れた時はしぶしぶという感じで本を読み始めた。
しかし実際読書しながら酒を飲み、美味しい料理を食べてみると、それらが三位一体となって私の心満たしていくのを感じた。
どれが欠けてもあの恍惚感には及ばない。
私は紅茸天狗にすっかり魅了されてしまった。
一週間前から毎日店を訪れている。
しかし紅茸天狗は満席のことが多く、店内に入れたのは一週間のうち3回だけだ。

紅茸天狗でのひと時は現実離れしていて本当に夢のようだ。
そのせいか一晩眠るとバーでの記憶があやふやになることがしばしばある。
(決して飲みすぎでそうなってるわけではない)
紅茸天狗での恍惚のひと時を一秒たりとも忘れたくない。
なので今日から紅茸天狗レポートを作成しようと思う。
今日は満席で入れなかったから明日も挑戦する。
posted by pikkumyy at 22:10| Comment(10) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
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Posted by みんなのプロフィール at 2005年12月17日 18:35
紅茸子様
路地裏にある、あの店。不思議な時間と空間ですよね。時間がたまゆら流れ、心が癒されていきます。何気なく手にした本は軽い手荷物の旅という本。喧騒の中の日々から、私を包みこんで静けさを取り戻してくれます。ここの店にいる女性はオーナーだそうです。とても素敵な方ですよね。こうしてみなさんに紹介され、すこし不安ですが、変るはずもありませんものね、このオーナーの店ですもの。レポート楽しみにしてます。ひっとして紅茸子さんはあの方かななんて思いなが店でお酒を飲む楽しみがひとつ増えました。
Posted by 雫 at 2005年12月29日 11:19
紅茸子様
『本 食事 飲み物』
この店の凄いところは、稀少本に出会えることだ。その一冊を紹介する。「我が秘密の生涯」ルー出版全5巻佐藤晴夫訳
(田村隆一訳で河出からも出ているが)
なんと、うれしいことに古本で取り寄せまでしてくれた。水割りを飲みながらこの本の頁をめくるのは作者の労力(?)に脱帽しつつ至極の時間だ。紅茸天狗、いたれりつくせりにまさに脱帽だ。
Posted by 考古堂 at 2005年12月29日 16:25
考古堂さん
あの作者、よくやるよって感じですよね。
Posted by 隠れキリシタン at 2005年12月30日 10:53
年の瀬はいつも「水」(石垣りん)という詩を思い出します。

『小学校の庭の片すみにプールがありました。

先生は泳ぐことを教えてくれました。
幼い仲間たちはお互いに手を貸しました。
それはちいさな模型
足で歩くだけでは渡りきれない
暮らしの山河をひかえて。

こわがるのではない、と先生がいいました。
ひとりが進んでゆく
せばめられた水路の両わきに
立ち並んだ胸壁はただ優しくせまり
差しのべられた手は
あたたたかいアーチをつくっては導く
それほど友情と庇護に満ちた日にも
少女はくぐりぬけるのが精いっぱいで
堅く身構えることしかできませんでした。

思い出します
はじめて水の冷たさを知ったときを。
どんなに教えられても
じょうずに泳ぐことのできなかった子は
苦い水をどっさり飲んで年をとりました。
くぐりぬけたさまざまなこと
試験、戦争、飢え、病気
どれひとつ足の立つ深さではなかったのを。

二十五メートルの壁に触れて背を起こすように
ようやくの思いで顔を上げれば
私の回りには日暮れだけが寄せていて
昔の友も
先生も
父母も
だれひとりおしませんでした。

小学校の庭の片すみにプールがあります。』

この詩には何年か前のとても寒い年の瀬に紅茸天狗で出会いました。今日はもう晦日ですね。
Posted by 巡礼子 at 2005年12月30日 16:10
年の瀬の一冊といったら樋口一葉の「大つごもり」だろう。紅天は食傷気味のこの季節、体に優しい料理を用意して、懐知ってか支払いもぐっと安くなる(3枚もあれば大丈夫)。こんな気配りの店は俺は他に知らない。
Posted by 不知火の仁五郎 at 2005年12月30日 16:34
行ったことなくて意見するのもなんですが、食事をして、酒を飲んで、本を読む。まるで風呂ん中で本を読んだり、雪隠の中で本を読んだり、何の時に本を読みながらするようなもんで、それはとても本に失礼だと申し上げたい。
皆さん読書愛好家のように拝読しましたので一筆啓上。
Posted by 本の虫 at 2005年12月30日 16:42
ひょうたんから駒さん、ちょっとお下品。
Posted by 舞茸 at 2005年12月30日 17:03
以下、無用のことながら。行ってらっしゃい。事実は小説より奇なりと先人は言ってますから。
Posted by 不知火の仁五郎 at 2005年12月30日 17:23
我が秘密の生涯もそうだが、今だ知らない秘密を覗き見たり、知るというのは快感だ。本というのはそうした快楽が得られる合法的な手段ではあるまいか。大晦日の今日は、今年紅天で読んだ中で知的快感を多分に刺激してくれた本を一冊紹介する。
「京都名庭を歩く」宮元健次 光文社新書
京都の名庭の紹介をしながら、その造園の歴史に潜む秘密を解き明かしていく。まだ夜の明かりの少なかった時代だったことも想像に加えるとそこに人間が見えてくる。紅天の本棚に来年も大いに期待する。
Posted by 考古堂 at 2005年12月31日 10:19
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